あんまり、というかほとんど見たことが無いんですけど、ドキュメンタリーってどこからが記録でどこからがフィクションなんでしょうか。本当に線引きが難しいですよね。
作家のフィルターを通した時点でそこにはバイアスがかかってしまいますよね。
特別なものを「撮る」「見る」「記録する」ということは、それと同時にそれ以外のモノを「撮らない」「見ない」「無視する」という選択を下すということですからね。
『高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと 』で朝井リョウが、中高生のYouTuberコンテンツ、別に1個もおもろないけどメンバーの入れ替わりやそれぞれの成長にドラマを感じてメチャクチャ見てる、という旨の発言をしていました。ノンフクションの断片のなかからドラマを見出す。これはある種のドキュメンタリーなんじゃないのかなと。
彼らはドキュメンタリーを撮ろうとして撮っているわけじゃない。ドラマを残そうとしてカメラの前に立っているわけではない。にも関わらず副産物として純度の高いドキュメンタリー映像が延々とアーカイブされていく―――――。オカラかよ。
YouTuber、まさかドキュメンタリー作家でもあったわけです。それもまったく無自覚の自家発電。
要はアイドルのウンコめっちゃありがたがる、みたいなことですかね。そうだと思います。アイドル的には「え?嘘でしょ?ウンコやで?私の、ただの。ただのウンコやで?」と恐縮している一方でファンが「ありがて~~~、すげえ、ありがてえよ~~~」と持ちあげている。みたいな。そうだと思います。そうだと思いませんか?僕はそうだと思いますよ。思います。
つまり今回のブログ、まとめるとこうです。
A:YouTuber→ドキュメンタリー
B:おとうふ→オカラ
C:アイドル→ウンコ
A=B、A=C
よってB=C。
アイドルはトイレでオカラを出す。なお食える。
こんなやる気のない文字の羅列も、これひょっとしたらドキュメンタリー資料になってるかもしれませんからね。400年後くらいに歴史的価値が発生するかもしれませんからね。明日のことは誰もわかりません。読み捨てずに保存しておいてくださいね。よろしくお願いします。
そんなわけでドキュメンタリーのイベントあります。
僕の参加するWebメディア「アンテナ」主催の映画イベント、秘密映画倶楽部です。ぜひぜひお越しください。よろしくね。
著者近影
サイトリニューアルに伴い、川合も新しくなりました。リニューアルといいつつ、過ぎ去りつつある夏の装い……… pic.twitter.com/vCWE7XJNwJ
— かわい (@Katsura_Liberty) 2017年9月6日